くさぐさ

◆筆者がはじめて読んだ竹内洋さんの本は『教養主義の没落』(中公新書、2003年)だった。それ以来この社会学者の仕事に心から共感を抱いている。竹内さんの本はつねに親切心に富んだ文章、豊かな調査量、鋭い分析力によって裏打ちされている。近代の知識人史の流れを、一定の密度と精度を保ちながら秩序づけていく知的体力にとりわけ感嘆する。
 この著者の近著『教養派知識人の運命』(筑摩選書、2018年)は阿部次郎の辿った軌跡を、その私生活、経済状況、交友関係、社会状況を広く見渡しながら再現している。巧みな話術と行き届いた配慮によって読者は、教養主義という新しい潮流を開拓した一人の知識人の歩みをありありと追体験できる。とくに阿部と和辻哲郎安倍能成たちが繰り広げる濃密な友情の劇に胸打たれた。おかげでまた一つ、あるべき本の先例を心の中に補給できた。
 
鹿島茂主催の「ALL REVIEWS」(この取り組みはすばらしい)で竹内洋さんによる拙著『文学熱の時代』の書評が公開された(https://allreviews.jp/review/2674)。この書評はかつて『熊本日日新聞』に載った(2016年3月20日)。あの『教養主義の没落』の著者が拙著の評者になってくれるという奇縁を心からうれしく思った。ぜひこの書評をお読みいただきたい。
 
◆拙著が出版された後、上記の書評のようにありがたい反響があった一方で、ありがたくない反響もあった。金子亜由美(日本大学非常勤講師)は「読書メーター」というサイトで「ziggy」という変名を使って拙著をこう評している。
「その〔自然主義の〕極点であるはずの大逆事件についての論考、つまり自然主義文学運動の政治に対する〝挫折〟への考察を欠いているのは、本書の意図に鑑みて致命的なのではないか」(https://bookmeter.com/reviews/70615933?page=2)。
 大逆事件自然主義の「極点」とするこの理解があまりに予想外だったので驚いた。金子亜由美の理解では、独歩や藤村や花袋などの文学者たちが大逆事件を引き起こしたことになるらしい。このような思いつきをすすんで開陳することが筆者には「致命的」であるように思われる。
 このとき金子亜由美は名前を明かさず、変名を使っている。自分の発言に責任をとりたくないらしい。さらに金子亜由美は2018年度日本近代文学会春季大会の特集「明治文学再考」の発表を筆者に依頼してきた4名の日本近代文学会運営委員のうちの1人である。
 つまり金子亜由美は学会発表の準備を筆者に負わせているあいだに、匿名の影に隠れて「読書メーター」で先のように筆者を誹謗していた。その上、筆者が「読書メーター」に金子亜由美の書き込みを見つけて「運営委員の方ですか」と問うと、金子亜由美は否定し、しらばくれて通そうとした。ここまで無神経な人はなかなかいないだろう。